大和ミュージアム と てつのくじら館
人間ドックの結果を聞いた後で、いろいろ「命」について考えることがあったので、参考になるんじゃあないかと、呉市にある「大和ミュージアム」に行ってきました。
ここは、戦艦大和の資料館で、主に、当時の製造技術力の紹介がされているのですが、同時に、最後の出撃となった昭和20年の特攻作戦での、乗組員の遺書や遺品が展示されています。
それを観覧しながら、自分の死に直面した人の気持ちを思ってみよう、と言う思い付きだったんですが、なにしろ、思い立ったらすぐに動かなくては気に入らない性格なものですから、回りに迷惑をかけてしまいます。ホントにすみません。
展示室を見ていて、まず最初に思うことは、この船を造るために、当時の最先端技術が投入されたと言うことです。あの46センチの主砲3本セットだけで、当時の駆逐艦の重さがあった、、と言うことに、度肝を抜かれます。
でも、それを撃つためには、甲板から総員退避せねばならず、航空機の攻撃を受けている間は、1発も撃てなかったという矛盾。
「大艦巨砲時代」に設計されて、完成した時には、時代はすでに「航空機至上主義」
しかも、それを実証したのが、日本軍の真珠湾攻撃だったとは、、、
悲しいことに、完成した瞬間から時代遅れになってしまった「悲劇的な存在」だったんですねえ。
そして、最後には使い道がなくなってしまって、3000人もの人を乗せたまま特攻出撃。それすら、出港の時から米軍に見つかっていて、むざむざ待ち構える300機の敵の中に突入して行ったんです。
その大和に乗って最後の出撃をした乗組員は、いったいどんな気持ちだったんだろう? 遺書となった手紙を読んでみると、その文面からは、確かにこれが最後の手紙になることがわかっていることがわかります。
みんな、結末はわかっていたんです。つまり、自分が死ぬと言うことが。
でも、同時に、自分が死ぬことを納得しているんですね。敵前逃亡することもできないですから、納得するしかなかったのかもしれませんが、その純粋な意思には驚嘆するしかありません。
今の日本では、戦争のない時代だし、こんな悲しい意思を持つことは必要無いことなんでしょうけれど、私にとっての「自分を生ききる」と言う課題のひとつのあり方を見たような気がしたのも事実です。
自分の死に際に納得する、、、と言うことなのかなあ? なんて、今のところは思っているんですけど、どうなんでしょうか?
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
広島県呉市宝町5番20号
tel0823-25-3017
◎手前左が「大和ミュージアム」 奥が海上自衛隊の「てつのくじら館」
呉駅から歩いて5分の便利な立地です。
◎展示されている1/10の模型。実際の造船所で作られたんだそうです。そのせいか、とっても精密です。
◎なぜかあった東郷平八郎愛用の懐中時計
◎大和の設計図。廃棄されたはずが、何枚か残っていたそうです。これは現物。
◎遺品とともに展示されている手紙(結果的には遺書) 文章の撮影は禁止なので、かなり引いた状態で撮影しました。
何人もの手紙を読みました。親に宛てたものや、兄弟に宛てたものなど、、、そのどれからも、愛情あふれる気持ちを感じました。自分は死のうとしているのに、親の身体を思いやり、畑の作柄を心配する、、、
例によって、このあたりから涙が止まらず。
◎沈没して海底にある状態の模型。あの大きな船体が二つに割れているんですが、これは、船内にあった火薬が爆発したことによるんだそうです。
◎同時に展示されていた「ゼロ戦」と特殊潜航艇「海龍」
みんな、人を殺すか、自分が死ぬための道具なんやねえ。むなしさがこみ上げてきます。
◎隣にある「てつのくじら館」にも行ってみました。最近まで現役だった潜水艦を、こんな形で見れるのはとっても面白いです。
◎潜水艦をメインテーマにした資料館は始めて。海上自衛隊の施設のことはあって、ちょっと宣伝めいたところはあるんだけど、日ごろは知ることの無い活動の一端を見ることができるのは良いことだと思います。
願わくば、平和の中で活動されますことを、、、、
ここは、戦艦大和の資料館で、主に、当時の製造技術力の紹介がされているのですが、同時に、最後の出撃となった昭和20年の特攻作戦での、乗組員の遺書や遺品が展示されています。
それを観覧しながら、自分の死に直面した人の気持ちを思ってみよう、と言う思い付きだったんですが、なにしろ、思い立ったらすぐに動かなくては気に入らない性格なものですから、回りに迷惑をかけてしまいます。ホントにすみません。
展示室を見ていて、まず最初に思うことは、この船を造るために、当時の最先端技術が投入されたと言うことです。あの46センチの主砲3本セットだけで、当時の駆逐艦の重さがあった、、と言うことに、度肝を抜かれます。
でも、それを撃つためには、甲板から総員退避せねばならず、航空機の攻撃を受けている間は、1発も撃てなかったという矛盾。
「大艦巨砲時代」に設計されて、完成した時には、時代はすでに「航空機至上主義」
しかも、それを実証したのが、日本軍の真珠湾攻撃だったとは、、、
悲しいことに、完成した瞬間から時代遅れになってしまった「悲劇的な存在」だったんですねえ。
そして、最後には使い道がなくなってしまって、3000人もの人を乗せたまま特攻出撃。それすら、出港の時から米軍に見つかっていて、むざむざ待ち構える300機の敵の中に突入して行ったんです。
その大和に乗って最後の出撃をした乗組員は、いったいどんな気持ちだったんだろう? 遺書となった手紙を読んでみると、その文面からは、確かにこれが最後の手紙になることがわかっていることがわかります。
みんな、結末はわかっていたんです。つまり、自分が死ぬと言うことが。
でも、同時に、自分が死ぬことを納得しているんですね。敵前逃亡することもできないですから、納得するしかなかったのかもしれませんが、その純粋な意思には驚嘆するしかありません。
今の日本では、戦争のない時代だし、こんな悲しい意思を持つことは必要無いことなんでしょうけれど、私にとっての「自分を生ききる」と言う課題のひとつのあり方を見たような気がしたのも事実です。
自分の死に際に納得する、、、と言うことなのかなあ? なんて、今のところは思っているんですけど、どうなんでしょうか?
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
広島県呉市宝町5番20号
tel0823-25-3017
◎手前左が「大和ミュージアム」 奥が海上自衛隊の「てつのくじら館」
呉駅から歩いて5分の便利な立地です。
◎展示されている1/10の模型。実際の造船所で作られたんだそうです。そのせいか、とっても精密です。
◎なぜかあった東郷平八郎愛用の懐中時計
◎大和の設計図。廃棄されたはずが、何枚か残っていたそうです。これは現物。
◎遺品とともに展示されている手紙(結果的には遺書) 文章の撮影は禁止なので、かなり引いた状態で撮影しました。
何人もの手紙を読みました。親に宛てたものや、兄弟に宛てたものなど、、、そのどれからも、愛情あふれる気持ちを感じました。自分は死のうとしているのに、親の身体を思いやり、畑の作柄を心配する、、、
例によって、このあたりから涙が止まらず。
◎沈没して海底にある状態の模型。あの大きな船体が二つに割れているんですが、これは、船内にあった火薬が爆発したことによるんだそうです。
◎同時に展示されていた「ゼロ戦」と特殊潜航艇「海龍」
みんな、人を殺すか、自分が死ぬための道具なんやねえ。むなしさがこみ上げてきます。
◎隣にある「てつのくじら館」にも行ってみました。最近まで現役だった潜水艦を、こんな形で見れるのはとっても面白いです。
◎潜水艦をメインテーマにした資料館は始めて。海上自衛隊の施設のことはあって、ちょっと宣伝めいたところはあるんだけど、日ごろは知ることの無い活動の一端を見ることができるのは良いことだと思います。
願わくば、平和の中で活動されますことを、、、、
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